今回は僕自身の体験を書いてみよう.
僕のエントリーとしては文章ばかりで長くなるが,我慢して最後まで読んでで欲しい.
僕が通っていた公立のA小学校と,A中学校は市内最底辺校だった.
何せ転校生が来ると最初のテストでは,学内で10番以内に入るのは当たり前で,その後は『朱に交われば赤くなる』とばかりに成績は急降下である.
運動部は全て1回戦負けで市内中のカモだった.
小中両方とも,校長は必死に成績だけでも良くしようと各学年上位100番までを発表するのだが,教師自体に全くやる気がなく,A中の英語の教師の一人は全授業自習にして趣味の伝書鳩の雑誌を読んでいたくらいである.
その中でも特に O と言う男性問題教師(教師と書くのも汚らわしいが)がいて,こいつは数年ごとにA小と,A中の転勤を繰り返していた.公務員だから解雇できず,かといって他に引き受ける学校が無いための処置である.待遇は教頭補佐という当時も現在でも存在しない不思議な待遇で,担当教科は体育だが僕が在校していた9年間,小中共に授業を受け持ったことは無い.
ただ朝礼の時に銅鑼声で号令をかけるのと,暇なとき竹刀を持って校内を彷徨いているのが仕事で,その竹刀も不審者対策ではなく女の子のスカートをめくるか,気分次第で気に入らない生徒を殴るのが主な用途だった.
A小では,5・6年生の希望者に剣道教室があり当時としては希有なことに実際の道場主がボランティアとして指導していたのだがOも有段者として指導に割り込んできていた.Oのやったことは6年生になると相対稽古が許されるのだが,その際に道場主の目を盗んで防具以外の部分を竹刀で殴ることであって,いちどその痣だらけの身体を道場主に見せて訴えたところ,『剣道は身体を鍛えることと己の精神を鍛えることが目的であるお前のような奴は二度と私の前に顔を出すな』と怒鳴られて,『しどろもどろ』に言い訳をして参加するのを辞めてしまった.
他には修学旅行であるが,必ず特殊学級(今で言う特別支援学級)の女の子と行動を共にして,寝室で下着だけにして女の子達の身体をまさぐっているところを目撃されたこともある.当然夜はいつの間にか寝室に忍び込み裸にして同衾である.
ここからが僕の本格的体験であるが,僕は両膝が悪く運動が苦手だった.
それを良いことに何人かにいじめを受けたが,特に酷いのが鈴木某(全国の鈴木さんご免なさい)で,治療中の僕を引っ張って無理矢理走ったり,階段から突き落としたりした.
それに目を付けたのが件のOで,鈍くさいのを直してやると言って僕を,階段から突き落としたのである.それまでは打ち身や切り傷で済んでいたのだが,大人が力一杯突き落としたものだから右上腕骨遠位骨端線解離という骨折を受傷してしまった.
今度ばかりは黙っていられないと,診断書を準備して校長と面談を行った.
結果は校長が夜,地元の実力者(要は地元ヤクザの組長)と共に訪れて,治療費は全て学校で持つまた,2度とやらせないから(当たり前だ,一度でもやる方がおかしい)警察沙汰にだけはしないで欲しいと,組長に土下座をさせられたのである.結局は泣き寝入りである.この事件の時は,流石にA小もOの再受け入れを拒否した.
これが中1の時の出来事で,それ以後の2年間は,鈴木某やその仲間をそそのかしたり,僕を見かけると拳を振り上げて威嚇を続けられた.
しかも後日談があり,3年生となり高校への入試志願書を出す時期に一通りの書類がそろった,提出直前のある晩当時の担任が予告なしに訪ねてきた.
泣いて謝罪しながらその内申書はOが無理矢理書いたもので,本当の内申書はこちらだから両方を改めた上で自分が書いた内申書を提出して欲しいというのである.
底辺校だから自慢にはならないが僕はA小・中9年間の在学中,体育以外の成績は学年で3位以上を維持し続けていた.
Oの書いた内申書は体育が1で,その他全教科2であった.
担任の書いた内申書は体育が3で,その他の教科は5であった.
Oは内申書が開封すると無効になることを利用して最後の復讐をしようとしたのである.どちらも公印が辣印されていた.担任は公印を他の3年生の担任達および教頭と相談して無断借用するしか無かったと言ってないていた.
信じられないだろうがこんな卑劣漢でも資格さえ所有していれば辞めさせられないのが公立校の教師である.
これが40年以上も前の出来事である.教師も学校も40年以上前から既に腐臭を放ち続けていたのである.今程マスコミが発達していなかったから騒がれなかっただけである.
現在のいじめは,いじめなどという生易しいものでなく,明らかに犯罪の域に達している.頼るべきは,教師や学校ではなく警察である.